ことばは暴力。(暴発する力) 川島小鳥さんと谷川俊太郎《おやすみ神たち》を見て。
写真はどんなに接写しても、被写体には触れられない。触れない。
だから優しくもあり、冷たい。
言葉は、意味を共有するものにとってはナイフ。
どんなに遠く離れてても、あっというまに心臓をひとつき。
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川島小鳥さんと谷川俊太郎さんの共同展?をみてきました。
小鳥さんの写真は、とても研究者的な距離感をいつも感じます。
被写体に愛と期待をもってるけど
被写体と自分との間にはカメラがあって
密着はしない。
ただ、あるがままに。期待して、待って、刈り取る。
前に見た未来ちゃんの写真展も楽しかった。
谷川俊太郎さんは、ことばで人を殴ったり、抱きしめたりする。
遠くの風景のことを耳元でささやく。
となりの街の争いごとを目の前で見せてくれる。
僕は彼の言葉に刺されて、うっとなった。
やばい。急所をやられてる。
タマシヒなどというフィルターをかけていように見えるけど全然。
ぶった切る。言葉のナイフで。
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風景やスイーツや猫や少年や、空。
笑顔や変顔や体系飛行。
おそらく誰もが目にしたことのある光景が
プリントされて並べられている。
それ自体はもしかしたら、癒しかもしれない。
でも
言葉がそこについた時
となりに滑り込んだ時
「すべてはまぼろしかも」
そう思いました。
いつか、近い将来,笑顔や空や猫たちは、展覧会の写真の中でしかみれなくなるんじゃないだろうか?
それは「アート」という不細工な箱船に乗って、かろうじて次の世界へたどり着いたものかもしれない。
ぼくらが「タマシヒ」や「こころ」や「からだ」等と読んでいるものがマトリックスでない証拠はある?
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僕のこころとからだは、とても弱いし、めんどくさい。
こころは、揺らぐ。染まる。影響される。誰かの言葉に。
傷つく。
喜ぶ。
感情の波に飲み込まれる。
からだは、調子を崩したり、絶好調だったり。波が激しい
投薬されたり
偏食により傷ついたり
健康食品にたよったり(笑)
でも
たましいは?
たましいはゆるがないもの?
もしくは魂はその当時者でさえ、さわれないもの?
そんな風におもった。
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いまは弱ってるからかもしれないという注釈を一応。
さらに
これはただの感想文です。
僕も音楽と言葉の作品をつくるひとりとして。